2)勇気と宗教の関係(前編):兵頭二十八先生
宗教と勇気の関係について考えてみましょうか。
19世紀末のヨーロッパで神がすっかり信じられなくなって、カトリック教会以前の道徳であった、古代ギリシャの「ストア学」が注目されたことがあります。(ストイック=禁欲的 の語源ですね。)新渡戸の『Bushido』は、この流行をとらえていたので、それで米国でウケたんです。
紀元50年頃に生まれ、主人から片足を折られた奴隷の身から解放され、勉強してローマの哲学者になったエピクテトスは、後期ストア学派の大師匠でした。
前期ストア派では、死んだ人の魂はなくならずに、世界の終わりに元の肉体を伴って復活する、と説いていました。
エピクテトスは、〈「死」とは、いま存在しないものに変化することにすぎないから、人々が死を怖れても、お前は怖れる必要がない〉とだけ語りました。
片足が使えず、おそらく格技の選手としては能力ゼロに近かったエピクテトスが、健常者、権力者、肉体的強者たちよりも早く、死の恐怖から脱却してみせているのです。それで彼は、誰が自分を思想弾圧しようとしても自由であり、かつまた、他者の自由も妨げませんでした。究極の勇気から、真の自由が獲得されたのです。
エピクテトスはまた入門者にも、〈まず自分が軟弱、無能な悪人であることを自覚しろ〉と言ったそうです。(紀元67年に死んだ、キリスト教会の組織者パウロの「原罪」論と、相通じますね。)
余談ながら、エピクテトスはその体験から奴隷制度を最初に非難した哲学者ですが、動物は人間のために作られたとも言い切っている。――人は自己の善悪を反省できる言語力をもっている。動物はその理性を持っていないから、人が使役したり食べてもよい、と。もしロバに言語理性があったら、ロバは人と同等であり、人はロバを服従させられなかったでしょう。(「クジラを殺すな」論の大元は、このエピクテトスにあるでしょう。)
ストア派は、他人に惑わされるのではなく自分をよく考えること、それは自然や宇宙の法則とか常識をよく考えることと等しいのだと主張し、人の中にも神がいるからこそそれができると説きます。
彼らに言わせれば、人の外なる神を説く宗教は、理性の弱い者をおどかすための嘘です。こういった考え方が、はるかのちの近世、スピノザにそっくり採用されたのでした。
エピクテトスの勇気の源を探るために、さらに紹介します。
彼いわく、嘘をつかないためには、軽々しく誓ったりしてはいけない。誓わなければ、嘘をつかずにすみます。(柔道家で警察出身の正力松太郎が、これとほぼ同じ準則を語っています。)
またいわく、良心と正直を捨てずに巨大な財産を得ることは、難しい。自分の良心こそ、傷つけては損な真の財産です。そこで、もし嘘をつかず、他者をも喜ばせて、自分が利益を追求できるならば、それは、自然の法則にかなった善いことです。
近世の宗教改革者はここから「資本主義」の倫理を導き出しました。プロテスタントが近代経済をもたらしたと言われますが、大元はエピクテトスでした。
自分の善をよく考えるならば、自然破壊もできません。
古代のギリシャ人もローマ人も、肉体を鍛えるのが好きでしたが、鍛えすぎたり、健康法にこだわりすぎた人は、逆に怪我をしたり病気になりしました。そこをどうやって自分で判断して調整するか。これを考えることは、自然の法則・常識をつかむことなのです。
その態度は、都市や帝国や外交を考える場合にも、同じように適用できるとエピクテトスは教えています。
都市や国家は、決して城壁によっては防御されず、住民の思想によってのみ防御され、自由が保たれるでしょう。個人も同じだ、とエピクテトスはみなします。死をおそれない不動心が、個人を防御し、自由にするのです。
(紀元前2世紀の人であった孟子が、「不動心」について語り、〈敵が百万人いようがこちらに正義があるなら一人で敵陣に突入する〉と宣言し、その「不動心」を宋代に、朱子学徒らが強調することになります。朱子学の理気論は西洋哲学の波及でしょう。)
自分の好き勝手にできないことについては、悩むべきではありません。世界中の不幸を救おうとすれば、それは神々と戦うことになり、自然に反します。あなたは自分の良心に問うて、自分でできることだけをやればよいのである、と、エピクテトスは諭しています。(ここをわかりやすく言い直せば、――アフリカの沙漠やアマゾンの奥地で縁もゆかりもない人々が苦労していると聞いて、地球の裏側の庶民のアンタが無理して解決すべく乗り込まなくていいんだよ。それを使命化していたら、キリないから――というわけです。)
つまり、ずいぶん遠くに存在する「不義」を黙過することは、あなたに勇気がないことを意味しません。
けれども、あなたのアクションで直ちに解決できる不義の事態を黙過することは、あなたにまったく勇気がなく、あなたが奴隷同然に自由でないことを意味するのです。
さしづめ、シナ国内の人権無視の暴政を、すぐ隣に位置する日本のわれわれが黙過して北京五輪などに参加することは、日本人にまったく勇気がなく、したがって自由人でもないことの歴史的証明となるでしょう。大いに恥ずるべきです。北京五輪ボイコットは、日本人にとっては「自分の好き勝手にできること」のはずです。そのアクションを起こさないことの言いつくろいは、誰にもできません。
エピクテトスは、この地上に、ただ一つの理性の王国を建設できるはずだと予言し、それをスピノザがひきついで、シナ人すら西洋的理性に近づけるはずだと考えたのですが、彼らは「地理が文化を決定する」ことまでは、思い至りませんでした。
これについては別な機会に考えるとしましょう。
前回、大声を出せる人間にヘタレはいない、と書きました。
カラオケでもやってみたらわかるように、横隔膜を使うのは結構な肉体の運動です。昔の人が、赤ん坊が大声で泣いているのを好感したのも、それがものすごい運動になっていることを知っていたからです。
ところが成人の人間はゴリラとは違って、ただでかい音を発することができれば権力に近いということにもならない。言葉に説得力を持たせなければ、威圧にもならない。その説得力のために、声の質と量を自分で工夫しなければなりません。
自分の声質・声量が、自分のガタイや顔、その肉体の表現力ともマッチしていないことには、発話によって、他者を容易に感動させたり同意させたり説諭することはできません。したがって社会のなかで自信がもてなくなり、いきおい、凡人は、自分の中の勇気もシュリンクしてしまうでしょう。
これが青春時代の男子の悩みのタネです。肢体、顔、肉体的表現力、声量、声質、言語的表現力(語彙とレトリック)……。これらの要素が、若い時分は、刻々と変化しますのに、「ベストの組み合わせ」は、一人についてただ一つしかないんです。多くの人は、それが自分では掴めない。多くの人は、掴みそこないながら成長します。どう修正すればよいか、分かりませんから。
大集団の中で長期間、揉まれるしか、自得・会得の方法はない。もちろん、労せずして生得的にそのマッチングがとれている個人もおり、そういう人は、「人気者」になるわけです。
(後編に続きます。)
(07/09/03)
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