4)儒学者、荻生徂徠/勇気とストレス(後編):兵頭二十八先生
ところで、さいきん、腹が下るので首相を辞めた人がいます。
徳川慶喜が大坂城から一人で遁逃したと知ったとき、大坂まで
つきしたがってきた幕臣たちはどのようなショックをうけたか、
追体験できた人が多かったのではないでしょうか。
他方で、ビル・クリントンやその妻のように、中共からどんなト
リックを仕掛けられても、それで腹を下したり呑みこんだものを
吐き戻したりすることなどないという、鋼鉄のガッツ(胃腸)の
持ち主もいる。これを考察してみましょう。
わたくしの小学校の4〜5年頃でしたか、学校裏の川の土手の桜
の樹に設けてあった、かつていかなる鳥も営巣したことがない巣箱
の中を覗いたら、小鳥の代わりに青大将がとぐろを巻いていた。同
級の児童らが面白がって校舎のベランダにその長い生き物を持ち帰
ってきたのを、見物したことがあります。
蛇は、どこかで小鳥を丸飲みして、快適な巣箱で昼寝しながら
消化中であったらしい。見ているうちに蠕動とともにゆっくりと丸い
シコリが消化管を逆のぼりはじめ、何分か後、とうとう口から塊り
が吐き出されました。他の児童たちは、なぜ獲物を吐いてしまった
のか謎のようでしたけれども、わたしには明らかに思われた。そりゃ、
悪ガキどもに捕獲され、慰み物になっているという「非常事態警報」
が、蛇の身体に作用して、身軽になって逃げ出せるコンディションを
本能的にとらせようとしているわけでしょう。
人間にも、爬虫類とあまり違わない危機対処のメカニズムが組み
込まれています。危機と取り組もうというモードに気分が切り替わり
ますと、さっそく栄養消化活動は二の次となり、下痢をしたり
吐いたりするのです。
その種の腹下しは、ごく短い時間のうちに、自分自身で次の行動や
指示や声明や説得をどうするのか、最善の判断をして決心し続け
なければならない人を、襲います。レース中のレーシングドライバー
のように、判断とアクションの間隔がほぼゼロだったら、下痢に
なんかなっている暇はないのですが、人間の場合、かなり先の事態
まで予測できるので、最善の判断を求めて、ああでもない、こうでも
ないと悩む時間が長い。また、決心をしてから、行動が始まる
までの待機時間も長い。それで、精神的なストレスが、動物よりも
強いのです。
家に引きこもっていちどに一つのことだけ考えていれば良いような
人間には、このようなストレスは皆無であるか、あっても弱い。
しかし周囲から頼られている社会人は、同時に判断し且つ行動すべ
きことが、常に多数あります。集中しなければならない近未来の決心
問題が二つ以上あると、どんな人間も落ち着いてメシどころでは
なくなる。
たぶん荻生徂徠をイタコで蘇らせたら、総理大臣になったらもう
自分で政策の判断などしていちゃダメなので、仕事はぜんぶ、部下
の閣僚以下に丸投げすべきなのであり、宰相の仕事とは、仕事を
任す部下を抜擢する「知」に尽き、そのあとは天命を知れ、とでも
説教してくれることでしょう。(詳しくは、徂徠の『政談』というテキスト
を読んでみてください。)
わたしは自衛官時代は本当に健康で、上富良野の冷たい雨の中の
野営でも、下痢などしたことはなかった。なにしろ近未来に何をすべき
か、すべて、他者が決めて命令してくれるからです。
ところが自営業(著述業)に転職して、近い未来から遠い将来ま
でスケジューリングをぜんぶ自分で組み立てるようになると、1時間後、
半日後、数日後、数週間後の行動選択が常に未解決の胸算の
課題としてわだかまっているので、取材旅行中は征露丸を肌身から
離せなくなりました。講演のある日などは、用心をして、朝メシや
昼メシを抜いて出かけることもあります。
思うに、家畜が野生動物よりも太るのは当然で、彼らの人生には、
未来の危険を自分で予測して回避策を講ぜねばならぬことからくる
ストレスは皆無なのです。
してみると、最も勇敢な選手や政治家は、ほとんど未来を考えず
に暮らしている、コーチの言うなりの選手や、万事秘書任せで口先
だけ得意な政治家なのだといえるでしょう。
また、一年中、誰よりも予防的に安全策を講じているような人は、
じつはいちばん腹が下りやすい人です。逆に、一瞬先のことを何も
心配していず、したがって危機が肉迫してから慌てるのが常である
人は、いちばんストレスから逃れている。
スポーツ選手のコーチや監督、政治家の秘書といった立場のマネ
ジャーは、主役が一時間後に何をしなければならないか考えさせて
はいけませんね。
極度の集中を要する、一つの問題についての最善の解答を出そう
と苦心しているときに、別な、新たな問題、それも、同じくらいに
集中を要し、締め切りも同じであるような問題が持ち込まれる……。
これは主役の精神をスプリットしてしまいますよ。
外国の高位の人々が臨席する歓迎晩餐会で吐いてしまうような政
治家は、たぶんこれなんでしょう。とてもシビアな問題をすぐにも
解決しなければならないのに、ニコニコと笑顔をつくって、のんびりと
晩餐会なんかやっていられるか、という焦りが、アドレナリンを放出
させ、交感神経が、消化器官への血流を止めてしまうのでしょう。
宴会雰囲気と、急にやってきた問題のギャップがあるほど、
この焦燥は強くなるでしょう。日本の政界とアメリカの政界じゃ、
もともとギャップありまくりでしょうから、同情を禁じ得ません。
元総理の村山さんもイタリアで吐いたことがありましたね。彼は、
じぶんの主義と違う政策を推進することに堪えられない、誠実な男
だったんでしょう。
クリントン氏がおそろしいのは決して吐いたりしなかったことで
す。夫妻ともに、シナ政府と気が合うってのは、日本の政治家の
スケールじゃ測れません。
(以下、次号に続きます。)
(07/11/25)
« 前の記事「4)儒学者、荻生徂徠/勇気とストレス(前編):兵頭二十八先生」 | 次の記事「5)叩かれるなどの痛みと勇気/勇気と自分の身長(前編):兵頭二十八先生」 »これまでの記事一覧
【08/10/17】12)真の勝負/最終回(後編):兵頭二十八先生【08/10/10】12)真の勝負/最終回(前編):兵頭二十八先生
【08/09/17】11)イギリスのぺティ/英国に学ぶ、日本の持つべき勇気/サブ・エリート(後編):兵頭二十八先生
【08/06/25】11)イギリスのぺティ/英国に学ぶ、日本の持つべき勇気/サブ・エリート(前編):兵頭二十八先生
【08/06/11】10)勇気と独立/公務員と民間人/人間の最強の武器は(後編):兵頭二十八先生
【08/05/25】10)勇気と独立/公務員と民間人/人間の最強の武器は(前編):兵頭二十八先生
【08/05/05】9)勇気と度胸/為永春水/勇気は景気次第(後編):兵頭二十八先生
【08/04/05】9)勇気と度胸/為永春水/勇気は景気次第(前編):兵頭二十八先生
【08/03/30】8)スコット南極探検隊の「暴虎馮河」に類する匹夫の勇(後編):兵頭二十八先生
【08/03/13】8)スコット南極探検隊の「暴虎馮河」に類する匹夫の勇(前編):兵頭二十八先生
【08/02/29】7)孫子の裏事情/死地における農奴兵の勇気(後編):兵頭二十八先生
【08/02/08】7)孫子の裏事情/死地における農奴兵の勇気(前編):兵頭二十八先生
【08/01/25】6)自由主義哲学者J・S・ミルの勇気/コンディションと勇気/凶器を持つ人への対処護身術(後編):兵頭二十八先生
【08/01/12】6)自由主義哲学者J・S・ミルの勇気/コンディションと勇気/凶器を持つ人への対処護身術(前編):兵頭二十八先生
【07/12/26】5)叩かれるなどの痛みと勇気/勇気と自分の身長(後編):兵頭二十八先生
【07/12/12】5)叩かれるなどの痛みと勇気/勇気と自分の身長(前編):兵頭二十八先生
【07/11/25】4)儒学者、荻生徂徠/勇気とストレス(後編):兵頭二十八先生
【07/11/13】4)儒学者、荻生徂徠/勇気とストレス(前編):兵頭二十八先生
【07/10/18】3)合理的神学思想のヒーロー、スピノザの勇気(後編):兵頭二十八先生
【07/10/05】3)合理的神学思想のヒーロー、スピノザの勇気(前編):兵頭二十八先生
【07/09/17】2)勇気と宗教の関係(後編):兵頭二十八先生
【07/09/03】2)勇気と宗教の関係(前編):兵頭二十八先生
【07/08/15】1)勇気と文明と社会(後編):兵頭二十八先生
【07/08/01】1)勇気と文明と社会(前編):兵頭二十八先生





