7)孫子の裏事情/死地における農奴兵の勇気(前編):兵頭二十八先生
北京五輪も近づくので、今回は『孫子』のお話をしましょう。
シナの為政者が国民大衆の「勇気」を本心でどのようなものと考えて
いるかは、この『孫子』一冊で了解ができます。
『史記』は個人の勇気を讃え、個人の反発精神をテーマにしていますが、
『孫子』はそんなものには一顧もあたえてはいないのです。
今日わたしたちが読むことのできるこの雑兵指揮官用アンチョコの
「最終バージョン」に、縦貫しているテーマとは?
ほかでもありません。
――最低な卑怯者たちにも、身の危険をかえりみなくさせる方法――
なのです。
耕作従事者だったのを徴集してまだ日も浅い、まるでトーシローな
二等卒たちを、わずかな号令を教えただけで、いきなり遠征戦争に連れ
出して、そこでいかにして脱走をさせず、命令への反抗を許さず、敵に
投降しようなどとも考えさせず、プロの兵隊に負けないくらいに死に物
狂いに敵軍と闘わせることができるか……。
ことに「九地篇」は、シナの戦国時代に、プロ指揮官のため、そのコツ
だけをまとめた、おそらく1冊の独立した「心理制御」の参考書だったと
思われます。
ですから、半島の拠点と同盟国が亡んだあとの8世紀の日本の大宰府
でも、『孫子』の「計篇」や「用間篇」などには目もくれず、まず「九地篇」
を熱心に講読して、唐軍の来寇に備えたほどでした。
そう、じつは「孫子」は、のべで数十人もいました。
たまたま『史記』に採録された「孫武」は、その数十人の中の一人で
あったにすぎません。司馬遷は「グループ」には興味がなく、個人にしか
関心がなかったから、他の情報は、捨てたのです。
春秋時代の孫武以前から「孫子」の作者は何十人もいました。
孫武は、それを編集加筆して遊説して成功した人物の一人でした。
むろん孫武と同時期、またそれ以後にも、それぞれ独自バージョンである
『孫子兵法』に加筆し編集し諸侯に売り込みを続けた「孫子」たちが、
何十人もいたことでしょう。
たとえば、山東省の前漢時代の墓(銀雀山漢墓)から1972年に掘り
出された竹簡『孫子兵法』や『孫ピン兵法』も、そんなバージョンを
とどめたものなのです。
竹簡(ちくかん)というのは、紙がなかった大昔に、細長い竹の札を
スダレ状に結び付けて文字を書きつけた、記録媒体です。
「冊」という字はその形態をあらわしたもので、「篇」という字が
竹カンムリなのも、竹簡に由来します。スダレを丸めたものが「巻」です。
後漢から三国時代の魏の武王(曹操)は、20世紀まで流行することと
なった『孫子』の決定版の保存に関与した、最重要の編集者兼監修者の
一人です。
彼も、疑いなく、広義の「孫子」の一人であったと呼ばれる資格が
ありましょう。
「魏武註」バージョンの編纂作業は、おそらく曹操一人で為したもの
ではないでしょうけれども……。
しかもまた、『魏武帝註孫子』が定評をかちえて流行本になったあとで、
とっくに死んだ「曹操」を勝手に名乗って『孫子』に筆を加えた編集者たちが、
やはり複数存在したと考えた方が良いでしょう。
もともとシナには、はるか古代から口承で保存されてきた「軍事格言」が、
たくさんあったと想像されます。
その中には、シナよりも数千年前から戦争を繰り返していた、オリエント
地域からはるばるステップ地帯を流浪してきた民族のものも、含まれていた
でしょう。
いつしか、その「軍事ことわざ」集を編む者があらわれたと想像できます。
もとは独立的であった、雑多でバラバラな断章・警句の破片や残片が、
編集者によって、印象的で統一的な思想のメッセージになるように、いろいろ
脈絡を工夫して、つなぎあわされていったのです。
歴代の編纂者が、これら「ことばの化石」のフラグメンツをつぎはぎする
ときに文頭に置いたのが「故」という記号でした。
これを「ゆえに」と訓読しますと、『孫子』の精読には却って有害です。
(逆に、これを「ゆえに」と読んで意味が通じてしまう「地形篇」は、
比較的後代の別系統の「孫子」の混入だと疑うことが可能でしょう。)
こうした編集作業は、軍事思想の「創造」と同義でしょう。
あまりにテキストの集積量が厖大になれば、重複的な格言を「間引き」
する作業もときおりに繰り返され、そのたびに、内容はいよいよ精錬された
でしょう。(九地篇は成立が新しく、この間引きの回数が足らないので、
未整理な印象を与えます。)
そんな次第で、流行本『孫子』の中には、おなじ一篇の中にすら、もの
すごく古い時代の発想(用字・用語)と、比較的にあたらしい時代の発想
(用字・用語)が、モザイクのように混在している場合が多いでしょう。
(たとえば「形」という字の意味は、あきらかに、箇所によってまちまちです。)
それを、あくまでパッチワークだとは思わせずに、軍事遊説者が権威を
つけるために、一人の著者(孫子大先生)を仮構する必要がありました。
また、そう見破らせぬための歴代の編集作業は、予期した以上の効果を
あげました。
なにしろ、古い箴言は、余計なことを述べない短いものが多いですから、
それが次々につながって出てくれば、なんとも深遠で偉大に思えるわけです。
これがもしある一人の人物の頭の中からすべて紡ぎ出されたものだとすれば、
彼はまさに古今に冠絶する天才でしょう。
しかし、そんな天才は、さすがにいなかったのです。
という次第で、「孫子兵法」のテキストに、なにか「正統」バージョンが
あったのだとは仮定してはなりません。
魏武註の流行本のテキストは、かなりな編集の手が加えられたもので
あることは間違いありません。しかし、だからといって、銀雀山竹簡の方が
正統なのだ、とも言い切れないのです。
さて、ところで、春秋時代の初期には、どんな兵隊たちが、どんな武器を
使っていたんでしょうか?
シナの古代の兵卒は、農民であり、かつまた、奴隷です。地方豪族の所有物でした。
有力な諸侯は、それら農奴兵を、土塁や日干し煉瓦製の城壁でぐるりと
囲んだ都市国家内に、なかば拉致・監禁をしていました。
この農奴兵を、自分が支配する都市国家の城壁の外側に連れ出すのが、
『孫子』の「計篇」に謂われる「兵」、すなわち、遠征戦争です。
『孫子』では、専守防衛はいっさい語られていません。城内戦、市街戦に
なったら、もうその古代国家は終わったも同然だからです。
つごうのよいことに、都市国家の農奴兵居住区は、支配の必要上、升目状に
仕切られていました。
はじめから、「行・列」で管理されていたので、それを「隊伍」に編成する
ことも、最初からごくしぜんになされました。
これにたいしてわが日本国には、奈良や京都を含め、シナのような奴隷
都市国家がつくられたためしがありませんでしたので、「隊伍」で戦闘する
という文化も、幕末に西洋銃陣が輸入されるまでは、存在せぬわけです。
唐朝の大都市のコピーであった日本の平安京に、長安城のような「市壁」が
めぐらされることがなかったのと、それは裏腹の関係でした。(くわしくは
拙著『武侠都市宣言!』や『あたらしい武士道』などをお読みください。)
(以下、後編に続きます)
(08/02/08)
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