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社長のための人材錬金術
ダメな奴でも「たたいて」使え!
後藤芳徳/フォレスト出版
ダメな奴でも「たたいて」使え!

(出版後記)『このタイトルじゃ社員に渡せないよ』と経営者からタイトル変更依頼が殺到している本です。「同じ内容で経営者向けではなく社員向けの本を書いてくれないの?」とすでに30人以上の経営者から言われております。 僕も社員に手をあげたことは無いのですが、どうもタイトルから僕は粗暴な印象を持たれているようです。でも読んだ人はわかって下さる。まぁ 読んで中身を理解してくれるまでは「叩く」が、そのまま暴力に思われるんでしょうね。それだけのインパクトなので出版社さんの作戦は成功したんでしょうね。トホホ・・・本当は優しいのに。

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チャンスと出逢うための
人脈大改造
後藤芳徳/現代書林
人脈大改造

(出版後記)この本を出してみて改めてわかったのは「すごい人と知り合おうとするより自分自身が凄い人になろうとしないと何も意味が無い」ということです。有名人と顔見知りであった場合にすぐに人脈だと言い張る人が多いけど、そんなの人脈でも何でもありません。最近こんな例を見ました。ある人間が事件に巻き込まれました。その人間の取り巻き立った著名人は数多くいました。携帯電話には直伝が山ほど入っています。でもトラブルに巻き込まれた瞬間に誰も電話を取りません。そんなのがいったい人脈といえるでしょうか。著名人同士は知り合いなことが多いです。でもトラブルひとつで「正体見たり!」という感じです。友達がトラブルに巻き込まれたら一刻も早く助けにはせ参じますよね。それができない人間を人脈って言っている人は浅ましい。トラブルひとつで電話を取らない人間を、それまで人脈だと思い込んでいたのも哀れです。有名人と直接電話ができるのが、そんなに凄いことですか?夜中にお腹が痛いと電話をした時にすぐに電話を取ってくれて駆けつけてくれる人間の方をよっぽど僕は人脈と呼んでます。

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9)勇気と度胸/為永春水/勇気は景気次第(前編):兵頭二十八先生

 「度胸」という言葉はいつから使われているでしょうか。
 天保3年(1832年)刊の人情本『春色梅兒誉美(しゅんしょくうめごよみ)』の
中に、色男の丹次郎の台詞として「……どふぞおれを思つて呉るなら、
ひどい胴居[どきょう]はしねへがいゝヨ」、と出てきて、その「胴居」の
字のあとへ「ちかごろ はらをすへて、ぜんあくとも いちづにする
ことを どきやうといふ。いといと はしたなければ 〔よい娘の読者の
皆さんはこんな流行語を〕 つかふべからず」と割注してあります。

 人情本というのは、日本の近代的恋愛小説の前駆形態です。

 今回は、幕末以前の文芸作品中に出てきて、どうやら当時は広く読者
から支持されていたのだと思われる「ナンパなキャラクターたち」や、
その作者たちをどう考えるかについての雑感を述べると致しましょう。

 ほんとうは為永春水(ためなが・しゅんすい)の「梅ごよみ」シリーズ
を全部読んでから書きたかったんですが、もう時間もない。天保8年の
「英対暖語」までを読んだところで、見切り発車だい。

 続けて言い訳めきますけども、わたしが某私大の英文科に入学して最初に
おどろきましたのが、いい御歳の教授が、わたしが中学生のときに買った
のと似たような研究社(ちなみに明治時代には「英語研究社」であった)の
英和辞典を手にして講義に出てきて、講義中にときどき、その辞書を
繰って確かめていた姿。

「そうか、『先生』といわれる人も、自分ですべてを知っていて若者に
教えるわけではないのか」「大学教授すら、一生勉強を続けるしかない。
それがあたりまえなので、しったかぶりをするのは不誠実なのだ」
と察しました。

 読者のみなさんの中に、「格闘技をきわめてから、それをマッチで試し
たい」などと考えている人はいませんか?
 大きな心得違いです。
 誰も、たんにひとつの世界すら「きわめる」ことはできない。生涯、
研究することができるだけ。
 誰もが「いまだ勉強中」な不完全なチャレンジャーとして、とつぜんに
本番に臨んで勝負をするしかありません。勝負をしながら、学習するしか
ないんです。

 言論人であれば、引用・祖述を超えた「断定」は、すべてチャレンジ
です。大衆の前で瞬殺される可能性もある。そのリスクをとることで、
世の中はすこしばかり変わります。

 スキルのピークよりも、身体ポテンシャルのピークは早く過ぎるでしょう。
 知識量のピークよりも、発想力のピークは早く過ぎてしまいます。
 そして、肉体も頭脳も、確実に、老いぼれて行く。すぐに、柔軟では
なくなってしまう。

 それだからこそ「たった今の勇気」に、古今東西、高い価値が与えられる
のでしょう。


 また、「恥ずかしくない敗け台詞」の数々を、できるだけ早く、おのれの
教養にしておくと、便利なのでしょうね。

 ところで、わたしは丸谷才一氏の『新々百人一首』を書店で買ってから
読み終えるまでに4年くらいかかってしまいました。
 といいますのも、丸谷氏は同書の中で〈源氏物語が多くの和歌の鑑賞の
前提である〉としきりに教えていた。それではと、わたしは40代にもなって、
急いで、岩波文庫の原文『源氏物語』(6分冊)を通読することに決めた
わけなのです。

 そのさい、どうせ前から読んでいけば「須磨」以前に挫折することは目に
見えていましたから、文庫の最終第6巻、つまり「東屋」〜「夢浮橋」を
先に読み、そこから逆に文庫を5→4→3→2→1巻と遡りました。

 結果、第6巻部分だけは、不思議に話の中にはいりやすく、読んだという
実感を持てたのですが、正直、1巻から4巻までは、どうにも見当付かぬ
草書体の古文書を眺めたような、欲求不満な心象しか残りませんでした。

 おかげで『新々百人一首』に復帰して読了するまでに4年もかかり、
しかも「ええ、わたしゃ源氏物語が読解不能で、どうせ和歌もわかりません」
と開き直った次第です。

 ついでながら、「宇治十帖」はそれ以前のパートとは別人が書いている
(E.Q.紫式部は二人いた)――という説があるそうですが、ありえない
ことではない、とも思いました。


 さて、ここからが本題なんだ。
 小林秀雄の『本居宣長』(これもようやく最近、読めるようになったの
です)によりますと、谷崎潤一郎は、源氏物語を現代語に訳した小説家で
ありながら、「源氏といふ人間は好きになれないし、源氏の肩ばかり持つて
いる紫式部には反感を抱かざるを得ない」と書いていたそうです。

 おなじような反感を、現代の人は、江戸時代の浄瑠璃、歌舞伎、草双紙本の
描くところの町人男女のありさまに対して、持つかもしれません。
 なにしろ、「自分でなんとかしてやれ」という気概が、主要キャラクターに
稀薄でしょう。しばしば、自殺や心中で解決しようとする。それじゃ平安時代の
「浮舟」からあまりにも進歩がない。

 なぜ『太閤記』のように、男一匹おのれの才覚と度胸で人生の問題を解決
しようとはしないのか。
 人情本の中には、「飛ぶがごとくに」という、おそらく明代の『水滸伝』の
影響と思われる表現が散見されます。もっと元気の出るような作り話が
いくらでもあり得ることを、江戸後期の戯作者たちならば、知っていた
はずなのです。

 しかし、彼ら自身がストーリーをつくると、まず舞台は色街が中心となり、
若い女が惚れた若い男を助ける方法としては廓に身を売るという手段だけが
デフォルトのように書かれる。このパターンは、勧善懲悪の規範・指針と
ともに、元禄時代から文化・文政期までの150年間、あまりかわりばえ
しませんでした。

 そういう話ばっかりが三都の町人に150年も支持されていたのかと思えば、
情けなくもなるわけですが、じつは、それには社会の制約があったので、また、
その時代の制約を突破しようとした凄い作者が天保期の江戸城下に出ていた
ことに、わたしは『人情本集』を読んでようやく気付いたというお粗末です。

 ご承知のように、しもじもの者どもが、あまり元気になりすぎ、創意工夫を
して自由に活動をしすぎると、幕藩体制は揺らいでしまうだろう――と考える
行政府が、歴史の自由研究やフィクションの自由創作をゆるしませんでした。

 江戸時代の芝居作者も戯作者も、表現を見張られていたのです。
 それでライターたちは、「これは鎌倉時代の架空の色街のできごとである」
ということにして、リアルな町民のドラマを書くしかなかった。

 きっと現代小説家のように太閤記の商人版でも書いたら面白かろうという
発想を戯作者もしたことでしょうが、もしもそんなものを書いて発表したら、
ぜったいに幕府の検閲官は黙っていなかった。
 そんななかで為永春水が天保期に発明したブレークスルーが、江戸の深川を
舞台にして、芸者をメインのキャラクターにすることでした。

 徳川時代の初期、「芸者」といえば、それは武芸者のことです。武芸者は
仕官をしていない。どの大名の家中でもない。サラリーマンではない自由な身分。
 腕一本で世の中を渡り歩き、あわよくば自分が大名になってやろうと思って
いる危険分子たちでした。
 とうぜん幕府は、そんな浪人たちを徹底的に取り締まりました。
 いつしか、「芸者」とは、女の三味線弾きのことになっていた。

 需要が安定していない土地では、ミュージシャンは乞食どうぜんでした。

気持ちも卑屈に傾く。ほとんどの場合、売春を兼業しなければやって
いけませんでした。しかし19世紀の江戸になると、右肩上がりの市場が
確立し、ついに深川では、芸者が表芸だけで活計を立て、「女中根性」を
棄てるに至ったのです。

 女中根性というのは、自分の実力を全力発揮するチャンスのなかなか
得られない、お屋敷奉公(これは嫁入り修業の行儀見習を兼ねていた)の
町人の娘が、互いに隠れて朋輩のけなし合いにうつつをぬかすような態度を
いい、表面は「お堅い」のですが、精神が非独立的で非生産的なのです。

移動の自由が少ない社会では、男にもこういうのがいるでしょう。

 しかし19世紀の江戸では、女が身を売るのではなく、芸をセルフプロ
デュースして生計を立てることが可能になった。殊に深川の芸者は、転職の
自由とプライドの保持を両立させ得た。客あしらいが愉快ならば、「あだ」
「いき」「きっぷ」を看板にしてもよくなった。「いき」というのは、
女中根性・お局根性がないということです。
 現代で言ったら人材派遣される芸人にすぎませんが、「自由経済社会」の
気分が、局所的にですが、実現したのです。

 経済的社会動物である人間は、独立して「一人かせぎ」ができる――と
自覚ができれば、たちまち、気も強くなります。自尊心も生ずる。無理な
要求をしてくる雇い主や顧客とすらも喧嘩ができる。あたりまえですよね。


 身も蓋もない言い方ですけども、「勇気は景気しだい」でもあります。
収入が減って急に不景気になると、積極的に何かをとりにいこうという気力も
失せてしまう。男だったら、女を口説く気もなくなる。覇気が消える。
これは現代であっても、国民規模で起きる現象です。
 隣国のシナは今は景気がバブルだから、大衆レベルでは、外国と戦争
したって勝てる、と思っていることでしょう。だから、隣国の景気がよい
ときに、自国の景気が悪いのは、非常にヤバイことなんです。政府と政党と
国会と日銀と財務省は、どう考えているのでしょうか?

 ま、それは余談ですが……。
 春水作の『春色辰巳園』の中で、芸者の一代記である『娘大幸記』という
草双紙が評判であると、作中でちゃっかり宣伝がされています。「大幸記」とは、
もちろん「太閤記」のもじり。文化・文政期以降、芸者が自分個人の才覚で
経済的に自立して自由をかちえることが、普通にできるまでに、世の中が
進んできていた。

 ところが、堅気の男たちの方は、まだそこまで職場の移動は自由じゃない。
だから当時のフィクションに出てくるメイン・キャラの男たちは、普通の
労働者・経営者ではなくて、富裕な商家・武家の次男であるとか入り婿で
あるとか、ほとんど労せずして散在ができる身分、あるいはそのような
身分から一時的に転落して落剥している貴種、と設定する必要があった
わけでしょう。

 為永春水は、彼の最も得意にした人情本の中では、社会上昇に奮闘する
人々も、描きません。彼の興味はそんなところになかった。わたしは、
春水は『金瓶梅』も読んでいたろうけれども、それ以前に本居宣長
(1801年没)の主張したことをよく知っていて、それを当代に実践しよう
としたと思っています。それが大成功したのが『春色辰巳園』です。

 ざんねんなことに、版元の二代目経営者が短編主義にこだわり、長期
シリーズ化を嫌ったために、春水は『辰巳園』を古典に並ぶ大小説には
できなかった。紫式部には原稿の枚数制限などありませんでした。それに
対して、天保期の貸本出版業界には、なまじビジネスであるがために、
シビアな頁数制限と、年間の冊数制限とがあったんです。もしも、字数と
冊数の制限がなければ、明治の二葉亭四迷を待つことなく、おそらく春水が
近代小説を書いたことでしょう。

 しかし春水のモチベーションも『春色辰巳園』の打ち切りで崩れてしまって、
以後は、弟子まかせの投げやりな作品を量産しました。

 春水の『春色梅兒誉美』に登場する「此糸(このいと)」とは「紫」の
字を上下に分割したネーミングです。『源氏物語』の若紫です。当時の
戯作者たちは万葉集以降の文学の全般に通じていました。なかでも、宣長の
諸著作のおかげで、源氏物語はブームのように再評価されていたと思います。
 なんと春水は、自分の人情本から読者が「物の哀れ」を知ってくれれば、
邪見の匹夫も心をやわらぐ一助になるだろう、と、『古今集』の貫之の
仮名序文を洒落ているほどです。宣長の真の弟子ともいうべきでしょう。

(後編に続きます。)

(08/04/05)

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【07/08/01】1)勇気と文明と社会(前編):兵頭二十八先生