メールマガジン登録
後藤芳徳が発行するメールマガジン。日本列島!勇気倍増プロジェクト⇒気が弱い子が勇気のある子に変わった指導経験など現在取材進行中。どうぞご期待を。取材協力大歓迎です。登録は無料です。

マガジンID:0000108951
Powered by まぐまぐ

相互リンクについて

後藤芳徳プロフィール
お問い合わせ
後藤芳徳のベストセラー
社長のための人材錬金術
ダメな奴でも「たたいて」使え!
後藤芳徳/フォレスト出版
ダメな奴でも「たたいて」使え!

(出版後記)『このタイトルじゃ社員に渡せないよ』と経営者からタイトル変更依頼が殺到している本です。「同じ内容で経営者向けではなく社員向けの本を書いてくれないの?」とすでに30人以上の経営者から言われております。 僕も社員に手をあげたことは無いのですが、どうもタイトルから僕は粗暴な印象を持たれているようです。でも読んだ人はわかって下さる。まぁ 読んで中身を理解してくれるまでは「叩く」が、そのまま暴力に思われるんでしょうね。それだけのインパクトなので出版社さんの作戦は成功したんでしょうね。トホホ・・・本当は優しいのに。

詳細はこちら

チャンスと出逢うための
人脈大改造
後藤芳徳/現代書林
人脈大改造

(出版後記)この本を出してみて改めてわかったのは「すごい人と知り合おうとするより自分自身が凄い人になろうとしないと何も意味が無い」ということです。有名人と顔見知りであった場合にすぐに人脈だと言い張る人が多いけど、そんなの人脈でも何でもありません。最近こんな例を見ました。ある人間が事件に巻き込まれました。その人間の取り巻き立った著名人は数多くいました。携帯電話には直伝が山ほど入っています。でもトラブルに巻き込まれた瞬間に誰も電話を取りません。そんなのがいったい人脈といえるでしょうか。著名人同士は知り合いなことが多いです。でもトラブルひとつで「正体見たり!」という感じです。友達がトラブルに巻き込まれたら一刻も早く助けにはせ参じますよね。それができない人間を人脈って言っている人は浅ましい。トラブルひとつで電話を取らない人間を、それまで人脈だと思い込んでいたのも哀れです。有名人と直接電話ができるのが、そんなに凄いことですか?夜中にお腹が痛いと電話をした時にすぐに電話を取ってくれて駆けつけてくれる人間の方をよっぽど僕は人脈と呼んでます。

詳細はこちら

« 前の記事「9)勇気と度胸/為永春水/勇気は景気次第(前編):兵頭二十八先生」  |  

9)勇気と度胸/為永春水/勇気は景気次第(後編):兵頭二十八先生

 本居宣長は、源氏物語について、「もし本質的な意味で歌物語と呼べる
物があれば、これがそうである、驚くべき事だが、他にはない、そう言った
のである」と、小林秀雄が指摘しています。
 春水の人情本は、音読され、ところどころでは節をつけて唄われることを
前提にして書かれていました。
 『梅ごよみ』には「……おきわすれし一冊の小本をとりて繰かへし、小声に
読〔む〕は女の癖」とあります。読者の大半を占めていた婦女子は、
誰もいないところで寝転んで読むときにも「音読」していたんです。

 春水はわざと、実際にはありえない韻文流の台詞をつらねて、一冊が
そのまま音楽であるような本を制作しました。文中にわざとらしく挿入
される都都逸や義太夫その他、これらがまた式部の詠歌の代わりです。
 小林氏いわく、宣長は「歌ノ変易」だけが「歌ノ本然」と考えている、
と。春水は源氏物語の徳川時代版を、天保期につくってみたのでしょう。

 とすれば、丹次郎はじめ、色男たちがアクティヴでなくてもよかったと
分かる。光源氏と同じで、彼らは真の主人公である芸者たちの感情を
うつしてみせる「かがみ」「媒体」に過ぎなかったからです。

 『辰巳園』の中で春水は、じぶんは気取った通人のやりとりなどは書く
意志はない。「只人情を尽さんとて、愚智をならべるのみな」んですよ、と
「当世の洒落家」=すなわち深川に遊ぶための調査・予習のつもりで
この本をレンタルしてしまった男の読者たちに、自分で詫びています。
 宣長の主張を深く弁えている春水には、自分が何を書こうとしている
のか、ハッキリと自覚されていました。読者を婦女子に限定し、自由な
芸者を主役にし、その人情に分け入る。

 しかしそうすると、源氏物語とおんなじで、男の読者には、フラストレー
ションが溜まることになります。主役級の色男たちに、どうしても感情
移入できないためです。(式部は光源氏については騎射の名手であると
描写していました。ただ、至高の貴種として、荒々しい言動を示す必要には
まったく迫られません。)
 それは、作者の春水にも、わかっていました。

 『梅ごよみ』の一シーン。花魁の此糸(そうなんです、この第一作では、
まだ古臭い人身売買が無批判に描かれている。芸者の世界と元禄いらいの
遊郭の世界が混在していました)が座敷の戸棚に隠していた半兵衛(無銭
遊興者)を、従業員が引きずり出す。「……いけふさぶさしい色男め。
よはい(弱い)のが当りめへと、ぶるぶるするも胸がわりい。ぶつてぶつて
ぶちのめして、耻づらかゝせてこのくるわへ足ぶみのならねへやうに、……」と、
半兵衛を打擲。
 当時の普通の男の読者は、弱い色男の「果報者」に、ぜんぜん共感して
いなかったことが、また、それを春水も承知していたと分かります。

 さらに『春色辰巳園』の丹次郎の台詞:「……壹人前の野郎なら、
たとへ女房があろうが何があろうが、妾てかけはあたりめへ、色は幾人
したとつてもこっちのはたらきしでへ、……」「……いつそのことに何も
訳はねへ、おれひとり坊主にでもやつてしまやァ、双方静に納りも付し、……」。

 こうなると宇治十帖の浮舟の逆の立場。パロディとしか思えません。
(この丹次郎は、もともと京都の出身という設定ですから、業平や光君・
匂宮・薫のキャラが重ねられているのは申すまでもないでしょう。)

 小林秀雄の『本居宣長』によれば、宣長の師筋の賀茂真淵は、源氏物語を
軽んじました。平安京遷都以降の文学は、「女ざま」で「女心」ばかり
書いていて、しょうもないと。万葉の「およそますらをの手ぶり」
「をゝしくつよき、高く直き、こゝろ」がいちばんいいのだといったのです。
 北方領土にロシアが南下してきたり、東南アジアから英国が北上して
きたりという当時の危機感から、天保期の男子インテリの中では、宣長=
春水流にはあきたらないという気持ちが強くなったのは、しぜんなことでした。
 (余談ですが宮本武蔵の『五輪書』に出てくる「てぶり」は、南九州の
方言で「てぶら」のことです。なまじ国文学に詳しい人は、却ってこういう
ところで躓いてしまう。これを日本で初めてただしたのが拙著『精解 
五輪書』でしょう。ご一読を。)

 人情本は、男の読者を対象にしないで書かれた娯楽フィクションであり
ながら、世界観があまりに斬新だったので、男の読者もひきつけずに
おかず、それがやがて春水を破滅させることになります。

 『辰巳園』では、深川芸者の「米八」と「仇吉」の爽快な喧嘩が描写
されています。モダンなドラマに不可欠な葛藤でありながら、陰湿では
ない。思えば、およそ800年前、葵の上は、生霊になって人の枕元を
うろつくしか、嫉妬を晴らす手段はなかったわけです。しかし8世紀後の
深川芸者は、面と向かって啖呵も切るし、相手を犬よばわりする果たし状も
送りつけるし、フィジカルなバトルも辞しません。みやづとめをしている
わけではないから、それで明日から何か困るということもない。ああ、
日本もこんなに自由になったなあ、と、識字階級ならば誰もが慨嘆した
ところで、あの天保の改革という、マクロ経済を何も知らないエリート
役人たちによる「文化統制」が始まりました。

 春水の自由主義は、20代の若い芸者がその胴欲な継母と(いちおう夢の
中で)口論して言い負かすというところまで、描いてしまった。婦女子の
読者は(音読して)溜飲を下げるわけです。それはいちおうは勧善懲悪の
教訓付きという巧みな設定を駆使していたのでしたが、「お上」としては、
この自由な表現の傾向を放置しておけば、やがては「政府批判の自由」に
つながるだろうと懸念を強めた。
 1840年(天保11年)、ちょうどアヘン戦争が起きた年でしたが、巨額の
贈賄で老中の地位を買った水野忠邦が、経済統制と言論統制に乗り出します。
そして天保13年、53歳の町人・為永春水は「手鎖」50日の刑を申し渡されて
しまいました。

 江戸時代の町人に対する「手鎖」の罰というのは、ほんとうに手錠を
かけるわけではなくて、実態としては、武家の「閉門蟄居」に相当する
ものです。
 しかし、一歩も出歩けなくなった春水が受けた精神的・経済的な苦悩は
大きかった。町人の戯作者では、彼だけが狙い打ちにされたからです。
当時は「印税」の慣行がありませんので、新刊を出せないとなれば、その
年の文筆からの収入がゼロになってしまいます。また、そのご数年間は、
著作を控えねばなりません。

 前回の「寛政の改革」の前例からして、春水も、著作の傾向をガラリと
変えれば、あるいは田舎落ちをすれば、数年後には創作再開がゆるされた
でしょう。(同時代の滝沢馬琴は、勧善懲悪・和流朱子学路線に徹する
ことで、この思想統制時代をサバイバルしました。)
 しかし、春水の勇気は挫けた。インテリならだれでも知っている本居
宣長の提唱が、くだらない三流老中のために公的に否定されてしまった
ことに、彼は絶望しました。800年前の紫式部の作風は、現代の江戸では
許されないというのです。江戸城下を離れては、彼の作品世界もあり得ない。

 「堪え難い心の動揺に、どうして堪えるか。逃げず、ごまかさず、
これに堪え抜く、恐らくたった一つの道は、これを直視し、その性質を
見極め、これをわが所有と変ずる、そういう道だ。力技でも難業でもない。
それが誰の心にも、おのずから開けている『言辞の道』だ、と宣長は
考えたのである」(小林秀雄)。

 春水は作中で、じぶんは「餅」組、つまり酒飲みではないと告白もして
いるのですが、蟄居中は安酒に逃避したらしく、1843年12月に病死して
しまいました。彼の日記が残っていないのは、どうも不審なことです。
過去の商取引のメモとして、自営業者は必ず日記を付け、自分が出した
手紙のコピーも保存するのが当然でした。

 『春色恵之花』には、永井荷風が絶賛したシーンがあります。
 丹次郎にツイとひきよせられた「米八」が、まずお茶で口中をすすいで
それを、休憩所にしている農家の縁側から、庭へ吐き出し、ついで、
庭先の梅の蕾を3つもぎとって噛む……。
 つまり、煙草臭さを消す、「リステリン」「梅仁丹」です。
 わたしが神田神保町の某出版社に勤務していた頃、しりあいの江戸っ子
(といっても品川区だが)が、ときどき、自販機で買った缶のお茶で
うがいをしていたものです。
 田舎者(おしな)のわたしは、『往来で汚ねえ真似をする野郎だな』と
思って見ていました。でも、そうじゃなかったんです。すくなくともこれは、
天保時代からある、消臭のたしなみだった。

 ところでわたしの手元にある昭和3年の『人情本』集では、こういう
シーンではかならず伏字がありやがります。
 着衣の女の体を男が引き寄せる、とか、女が畳の上に着衣のままで横に
なる、だとかの何でもない描写が、伏字にされている。
 原著の刊行当時でも、作者たちはお上や公衆に遠慮をして、ダイレクトな
フィジカル・インターコースのシーンは、決して人情本には書いていません。
 朝遅くなって起きた女の髪がやたらに乱れている、とか、そういう描写で、
ほのめかしているだけなのです。頽廃などしておらず、『源氏』の世界に
戻っているだけでした。

 ところが昭和3年の内務省は、そこをいちいち咎め、伏字にさせていた。
そんなくだらぬ検閲をやっていた。
 内務省は昭和11年の「2.26」事件で警視庁を占拠され、警察官が縄目の
はずかしめをうけてしまうのですけれども、その内務省もまた、陸軍に
負けず劣らず、日本を暗くする手伝いに精を出していたのです。昭和3年
といえば、失業率がたいへんなことになっていた時期です。
 男は失業するとすべての自信を失い、自殺したくなったりするものです。
皆さんなら身に覚えがあるはずだ。
 行政はそんな時代に、戯作を検閲するようなくだらぬ思想統制をやって
いたらダメなのです。

 愚かにも昭和の内務省は、水野と同レベルの活字表現規制に血道を上げ、
明治維新とは逆の、軍官僚統制革命の手伝いをしてしまったのでした。
(今でも思い出しますが、湾岸戦争のとき、通産省の木っ端役人が、
コンピュータ・ゲーム業界に対して、「戦争ゲーム」を自粛しろ、という
あきれた指導を通達したものです。もし高級官僚たちに勝手をさせて
おけば、日本はいつでも「天保末期」に戻り得るでしょう。)

 別宮暖朗先生は、明治維新は自由主義革命だったと仰った。わたしも
そう思います。その内圧が高まるきっかけは、腐儒の低劣な志を抱いた
有力閣僚による、天保改革だったのではありますまいか。
 そして、彼らから狙い撃ちにされた一戯作者の為永春水もまた、
「五箇条の御誓文」を準備したのではなかったでしょうか。

(以下、次号に続きます)

(08/05/05)

« 前の記事「9)勇気と度胸/為永春水/勇気は景気次第(前編):兵頭二十八先生」  |  

これまでの記事一覧

【08/05/05】9)勇気と度胸/為永春水/勇気は景気次第(後編):兵頭二十八先生
【08/04/05】9)勇気と度胸/為永春水/勇気は景気次第(前編):兵頭二十八先生
【08/03/30】8)スコット南極探検隊の「暴虎馮河」に類する匹夫の勇(後編):兵頭二十八先生
【08/03/13】8)スコット南極探検隊の「暴虎馮河」に類する匹夫の勇(前編):兵頭二十八先生
【08/02/29】7)孫子の裏事情/死地における農奴兵の勇気(後編):兵頭二十八先生
【08/02/08】7)孫子の裏事情/死地における農奴兵の勇気(前編):兵頭二十八先生
【08/01/25】6)自由主義哲学者J・S・ミルの勇気/コンディションと勇気/凶器を持つ人への対処護身術(後編):兵頭二十八先生
【08/01/12】6)自由主義哲学者J・S・ミルの勇気/コンディションと勇気/凶器を持つ人への対処護身術(前編):兵頭二十八先生
【07/12/26】5)叩かれるなどの痛みと勇気/勇気と自分の身長(後編):兵頭二十八先生
【07/12/12】5)叩かれるなどの痛みと勇気/勇気と自分の身長(前編):兵頭二十八先生
【07/11/25】4)儒学者、荻生徂徠/勇気とストレス(後編):兵頭二十八先生
【07/11/13】4)儒学者、荻生徂徠/勇気とストレス(前編):兵頭二十八先生
【07/10/18】3)合理的神学思想のヒーロー、スピノザの勇気(後編):兵頭二十八先生
【07/10/05】3)合理的神学思想のヒーロー、スピノザの勇気(前編):兵頭二十八先生
【07/09/17】2)勇気と宗教の関係(後編):兵頭二十八先生
【07/09/03】2)勇気と宗教の関係(前編):兵頭二十八先生
【07/08/15】1)勇気と文明と社会(後編):兵頭二十八先生
【07/08/01】1)勇気と文明と社会(前編):兵頭二十八先生